『夢をみるような話 上巻』

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▼サークル:太田ユリ
▼発表形態:同人誌(2014年博麗神社例大祭11にて発行)
▼判型:文庫本
▼登場キャラクター:藍、紫、その他オリジナルキャラクター
▼ジャンル:伝奇小説

 

 サークル太田ユリの首魁と目されるアン・シャーリーさんの個人誌。
 アンさんは他のサークルメンバーと比べても芸域の広いところがあり(個人の感想です)、剽げた可笑しみのある話を書くかと思えば読んだ後にしんみりする寂しい話も書き、凄味のある恐ろしい描写があるかと思えば「こいつなに考えてやがるんだ」と呆れるような描写もあるというオールラウンダーである。いやいや妖夢、褒めてるんだってば。
 
 さてそれでは本作「夢をみるような話」はどんな風情のお話かというと、半ばは本人も述べているとおり全力で書きたいものを書き切ったような、好きなもの全部注ぎ込んだような話ではないかと思われる。書いている間はさぞや楽しくて苦しくてたまらなかったのではないかと想像する次第である。
 
 本作に登場する藍はまだ八雲姓を名乗っておらず、したがって紫の式でもない。自己一身の欲望を叶えるためにあらゆる行いは行われて当然と見倣す冷酷・残忍さと、愛や恋に生きて自分の身体さえその生き方を表すための道具であるかのように振る舞うある種の一途さとが混在した、意思と花のキメラみたいな妖怪である。好きなように愛して殺して食べる姿はたいへん魅力的である。というか私がこんな風に書いてみたい。
 また一方で、ここまでの藍は実は主たる視点キャラではない。第一話から第三話まで収録されているこの上巻において、彼女が真にその視点を読者のそれと重ね合わせたと思われる時間は極めて短く、他のほとんどは彼女に翻弄され利用され殺される者たちの視点で話は進んでいく。視点キャライコール主役だと考えるのであれば本作の藍は紛れもなく脇役であり、彼女の魅力の多くは彼女に翻弄され利用され殺されていく者たちに見られ想われていることに依拠していることになる。別にそれが悪いことだと言っているわけではなく、本作の藍に対する私の理解の仕方のひとつが『美貌と残虐さと恋情を備えた狂言回し』といった感じのものだということである。
 
 紫についても言及する。ネタバレになるので控えるが、本作においては紫はようやく実体を手に入れたばかりの存在であり、また八雲の姓も持っていない。当然藍を式にしてもいない。第一話および第三話に登場する少女、あめやみ(雨止みと書くらしいので、「雨」という字から「雲」を、「止」という字から「紫」という字を思い浮かべてもおかしくはないと思う)と何らかの関係があるようなのだが、あめやみは第三話では安倍晴明(!)と名乗るようになるため真相はまだ分からない。
 
 アンさんには直接申し上げたことではあるのだが、本作品は私にとって、できれば小学生か中学生くらいの頃に出会ってもろに影響を受けたかったと思った本である(まあR18の本だが)。既に何度も読み返しているし、この先もぼろぼろになるまで繰り返し読んで、少しでも内容に対する理解を深めたい、作者はここでこういうことを言いたかったのではないか等と教科書的に読んでみたい、そう感じた本である。アンさんの全力投球の本であることは間違いないだろうし、恐らくは下巻もそうなるであろうから、今から首を長くして待っている次第で、本を読むことの幸せを久々に強く感じた作品である。