『シンカーゴーストの成仏活動 The Sinker Go the Distance』

▼作者:保冷剤
▼発表形態:村紗水蜜成仏合同誌「幽霊客船の輪廻を越えた旅」所収
▼判型:B5版
▼登場キャラクター:村紗水蜜 雲居一輪 封獣ぬえ 水橋パルスィ 星熊勇儀 古明地さとり
▼ジャンル:群像劇

 

 

 過去にTwitterなどで幾度となくつぶやいてきたことではあるが、私ことマムドルチァの文芸は例えて言うならば井の中に安住してしまって外に大海があることを知りながらそれを見ようとしないだらしのない蛙である。甘ったれた言い方を許してもらえるならば、尻を叩いて「ああせい、こうせい」と要求して亦急かしてくれる他者(続きを早く書けと要求するフォロワー、〆切りに厳しい合同誌の主催etc)をどうしようもなく必要としているタイプの人間である。いや本当に放っておかれると自分からは新しいことをなぁ~んにも始めようとしないのである。
 ただ、一応井戸の外に大海があること自体は知っており、他者にせっつかれたり気まぐれを起こしたりしてそれを見ることはあって、すると虚心に「嗚呼、大海凄ぇなあ」と思ったりもする。外部から取り込むものが本当に何も無かったならばそもそも二次創作をしていなかっただろうし、また始めたとしてもすぐに活動を止めていたのではないだろうか。ひと一人がいくら独力で頑張ったところで想像力の限界なぞ知れているものだ。

 前置きが長くなってしまった。今回レビューしようとしている保冷剤さんの「シンカーゴーストの成仏活動」は、私が暫くぶりに見た「大海」である。ムラサ船長のSSだけに、という冗談はさておき、掲載誌である村紗水蜜成仏合同誌「幽霊客船の輪廻を越えた旅」において私の小説は保冷剤さんを含む何名ものSS作家の方々の書かれたそれとご一緒させていただいたのだが、中でも一番衝撃を受けて今でも忘れられない強烈なイメージを抱き続けているのが本作であることは私の中において微塵の疑念もない。他の作家さんの作品がストーリーなり文章力なりで劣っているなどとは思わないし、それどころか正直に言って保冷剤さんの誤字の多さには(この後も別の合同誌でご一緒させてもらい、また友人としてお付き合いする間柄になった御陰もあって)かなり驚かされたものだが、しかし本作を含む保冷剤さんの作品にはその誤字の多さを補って尚余りある強いインパクトがあり、私はそれらを読んで瞠目し、そして虚心に「嗚呼、大海凄ぇなあ」と思ったのである。この界隈本当に色んな奴がいるもんだ、と改めて思い知らせてくれたわけで、心から感謝している。

 大雑把にストーリーを記す。最初に舟幽霊のムラサの登場、雲居一輪との邂逅が語られ、その後聖白蓮以下の面々との地上での日々と地底に封じられた直後までが手短に語られ、その後一気に東方星蓮船前夜というべき時まで進む。地底での長い日々を共にしたのは一輪と封獣ぬえの二人で、彼女らと共にあるいは水蜜単独でのスペルカードルールの存在の認知と白蓮の救出を目的とした地底の脱出・地上への帰還を目的とした活動が繰り広げられる。
 こう書けば東方星蓮船本編の前日譚のようだし事実私もそのように判断して読み進めたのだが、実際の内容はもう少しオリジナリティにあふれている。東方地霊殿で登場した旧地獄について筆者の保冷剤さんはかなり踏み込んだところまで設定を作っており、政治・経済・社会風俗といった面で独自の解釈に基づく記述を盛り込んでいる。ネタバレになるのでこれまた大雑把な記述にとどめるが、星熊勇儀を首班とする政権が運営されていたり地霊殿が株式会社化して古明地さとりが従業員数二万人の大企業の社長になっていたりする。もう一つおまけに書くと水蜜たち自身が地底で白蓮の教えを広めて一時期は大きな宗教勢力として存在してもいたようである。よくもまあここまで独自の解釈、設定を作り上げたものだと感心する。皮肉ではなしに。

 原作において多くを語られなかった部分について二次創作でどの程度まで語るか、また語るとしてどの程度まで脚色するかというのは作家の腕の見せ所の一つである。東方Projectの一連の作品群にはこの「多くを語られなかった部分」が相当多く、またそれらについて大いに語って良いとする自由な風潮もある。有り難いことではあるが前述の通りのぐうたら者である私にはそれを大いに活かすことができない。しぜん選んだのは原作の雰囲気を重視してそこから大きく逸脱しない方向性であり、よく言えば歩留まりの良い、悪く言えば新味のないお話ばかり書いてきているつもりである。

 保冷剤さんはそうではない。彼が選んだのはもう少し原作を逸脱して独自の世界観に基づく物語を作り出す方向性である。私なんぞよりよほど想像力にあふれているし、加えて勤勉でもあると言える。二次創作においては独自色あふれる設定を盛り込むのは冒険主義的な行い、はっきり言えば博打であり、多用される否定的な決め台詞「これ○○でやる必要なくね?」の犠牲になることがしばしばある。これを回避しようと思えば読者を呑み込むような何かが作品にはどうしても求められる。その設定をすんなり受け入れさせる説得力の場合もあるし、部分的な違和感なぞ吹き飛ばしてしまうような物語全体の魅力の場合もある。私はこのような部分に労力を割くのを厭うタイプなので、保冷剤さんのこのような独自の設定の導入とそれを読者に納得させるための努力をいささか眩しく感じてしまうのである。凄いことをやっておる喃、と思う。

 少し作品から離れて文章的な特徴について語る。保冷剤さんが描写の際に重視していると思われるのが、作中のキャラクターが何か行動を起こす際の「準備」についての部分である。私は縁あって彼のいくつかの著作を読んできたわけだが、作中で爆薬・爆弾作りやら陣地構築やら銀の弾丸の鋳造やらを行っており、その部分だけを読むとどうにも違和感があるのだが、物語全体の中でのこの描写の立ち位置を考えるとやはり必要不可欠なものとなって現れてくる。この後に待っている行動のパートに説得力を持たせ読者にカタルシスを与えるための重要な部分であり、似たような構成の作品で有名どころを挙げるとすれば往年の米国製テレビドラマ「特攻野郎Aチーム」辺りが近いかと思われる。放映当時夢中になって見ていた作品の一つであり、保冷剤さんの作品を読むとき私がある種の懐かしさを覚えるのはこの辺りに理由があると思っている。

 物語は聖輦船の浮上、航海の再開をもって終わっている。読み終えて私は「こんな話を自分が書きたい」と自分にしては珍しくそう思った。私にとってそれだけの価値のある作品である。何によって水蜜が成仏すると定義するのか、そのために彼女がどうしていくと決めたのか、それは是非とも実際に読んで確かめてみて欲しい。皆さんにとってもそうするだけの価値のある作品だと私は思う。