『バッド・エデュケーション』

f:id:Otayuri:20140624214651j:plain

▼作者:獅子山レオ彦氏
▼サークル:幸咲彗星
▼発表形態:同人誌(2013/12/30 コミックマーケット85 寅丸星ナズーリン 空白の千年合同『ふたりぼっち』収録作品)
▼登場キャラクター:ナズーリン 寅丸星 毘沙門天 ヴァジュラ
▼ジャンル:ギムナジウム文学

 

 許嫁者の猫撫で声、嘘偽りに満ちた言葉、彼女は突然帰ってしまう、日々が過ぎて行く、青年は自分の書斎に閉じ籠り何枚も画を描いた、窓から眺める森の雪景色、春の兆しが現れる、実に柔らかな緑の芽が吹き始める、青年は外に出て、木や雲の画を描くようになった、熱いコーヒーとドーナツを持ってメイドが森にやってくる、小さなイーゼルの上の画を見た彼女は、何か気のきいたことを言った、青年の驚き、メイドはその画についてどんなことを言ったっけ? そのとき青年は、メイドが繊細な心の持ち主であることに、どうして気づいたんだっけ? 人が何かを言うことによって他人の心を永久に捉えることがあるのはなぜなんだろう?

 

マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』 野谷文昭訳・集英社文庫 p.142-143

 

  『魔法の言葉』というものが、この世の中にはあります。

 ある特定の状況に、その言葉をほうりこむことで、それまでのすべてを一変させ、新しい何かを生み出す力をその場にいる全員にあたえる……そんな力をもった言葉のこと。
 たとえば、仮面ライダーが「変身!」と言ったら、それは(その後の紆余曲折はまあいろいろあれど)これから悪が倒され正義が力を回復する合図だし、伊東ライフ先生の本のヒロインが「頑張れ♥ 頑張れ♥」と言ったらそれは射精のシグナルにちがいありません。
 
 私たちは実人生の場でもそうしたマジック・ワードに立ち会う機会がしばしばありますが――恋人への告白や、プロポーズの言葉がきっとそうなんだと思います――やはり、圧倒的に多くそれを目にする・耳にするのは、フィクションの中ででしょう。とりわけ言葉の芸術である小説においては、そうした魔法の言葉を生み出すことこそが、創作の大きな目的のひとつであると言って過言ではない。
 そんなわけで、今回ご紹介する東方SSは、獅子山レオ彦さんのバッド・エデュケーションです。
 
 
 この短い小説(20ページほどです)は、2013年の冬コミで頒布された「寅丸星ナズーリン 空白の千年合同『ふたりぼっち』」に収録された作品のひとつとして世に出ました。
 星ナズ合同というくらいですから、当然、この小説の主人公も寅丸星ナズーリンです。空白の千年、だから、聖白蓮が封印されたあとの千年間のことをさしていて、その期間の星ナズ主従の話なんだろう。誰でもそう思います。しかしレオ彦先生はそういうものを書きません。星とナズーリンの出会いの話、そして星が毘沙門天の代理と目されて命蓮寺に出向するまでの話。それが『バッド・エデュケーション』の内容で、さて、それでは、舞台はどこになるのでしょうか。星はトラだから、獣のころ生きていたと思われる大陸の方の話になるのかな?
 ページをめくってみると、そこはギムナジウムだった(どーん)。
 
 こんな場所があったとする。
 内政、外交、諸々に、多忙を極めた毘沙門天が、その弟子達をひとところに集めて修行させる、寮学校。妖怪達が毘沙門天の庇護を得るため、勉学に勤しむ学園。
 
 そこに二人の学生がいたとする。
 ナズーリンと、寅丸星。片や模範生の智将。片や落第生の乱暴者。その後数百年を共にすることになる、正反対の生涯の友。 

 

 ねえよ!!! いねえよ!!!!!
 冒頭を読んだ瞬間、私はそう叫んでいました。出だしからレオ彦先生、飛ばしまくりです。このようにしてこの小説ははじまり、だいたいずっとこんな感じで終わります。
 とはいえ、出オチであるだけの作品ではありません。冒頭、ナズーリンは自分たちの住む寮で強力な派閥を組んでいる学生グループ『ヴァジュラ』のリーダーと自室でチェスをしています。学生たちから『鼠の穴蔵』と呼ばれる品の良い特待生室をナズーリンは一人で使っていて、彼とチェスをして勝ったものだけがナズーリンと相部屋になってこの部屋を使える決まりなのだ。
 挑戦者は引きも切らないが、最優秀模範生でチェスの名手たるナズーリンに勝てる学生もまたいない。今夜もナズーリンはクールにヴァジュラのリーダーを撃退し、ひとりきりで暖炉にあたりながら詩集を読み、レコードのシャンソンに耳をかたむけるのであった。
 そこに突然反応するダウジングロッド! どんどんと乱暴に叩かれる扉!
 
ナズーリンってヤツはいるか! 俺は寅丸星! 開けてくれ!」
 
 
 何が「俺は寅丸星」だこの野郎!
 筆者はここを読んだときまたしても大声でそう叫び、そして実況気分でTwitterでつぶやいていました。なんなんだろうこのカッコよさ……「ナズーリンってヤツはいるか!」にしても、「俺は寅丸星」にしても、難しいことは何一つ言っていません。読者が何かを考える必要のまったくない、ただそのまま受け取るべき、素朴なフレーズの連なりです。けれどそれがどうして、私の心をこんなにも捉えるのか。この作品を永久に好きにさせる、不思議な何かの力が、この一節にはある。言葉に魔法が宿っている。
 こういうのが『魔法の言葉』だと私は思います(どーん)。
 
 
 また、この小説はどこを読んでもキレッキレで、そういう力のある言葉に満ちています。たとえば、物語はこう展開する。同室となった星とナズーリンだが星は粗忽者の乱暴者、実技は百点満点以上だが座学はぼろぼろ。最優秀生のナズにとって星はどうにも手のかかる、だがなぜか気の合う友人となった。
 ある日ナズは星の書いたレポートに目を留める。あまりにも字が汚く、これを読まされる講師はかわいそうだろう(一文字も読まれず赤点をくらうこともこれまでままあった)と考えたナズーリンは、気まぐれから、そのレポートを代筆して清書してやることにする。星のレポートを読みながら写していたナズーリンは、やがて深い驚きに包まれる。
 
 そこには、人と妖怪が手を取り合う、理想の世界が描かれていた。毘沙門天の庇護を得て、人を従え、敵を倒す。そうした目的のために集まり、そのために学習をしている自分たちの中で、こんな変なことを考える奴がいたとは。星は照れて頭を掻く。
 だが、それまで彼が考えたこともなかったその「平和」の選択肢は、人と妖との共存という理想は、ナズーリンの胸に深く根を下ろし、頭から捨て去ることの出来ない考えとなるのだった。
 
 星という妖怪のあり方を知る上で、これは非常に重要なエピソードです。そして、ナズーリンが感化されたこの考えは、星の故郷の僧である聖白蓮が唱えている教えだということが判明する。星を通じてナズと白蓮がつながり、またその理想を三者が共有する。命蓮寺の話を描くにあたって外すことのできない部分を、短い挿話で見事に書ききった、レオ彦先生の筆致のすばらしさがここから読み取れる。
 
 
 さてそれをふまえて、話は新たに展開します。冒頭でナズーリンにやり込められて以来、なりをひそめていた『ヴァジュラ』の面々が、今度は星にちょっかいをかけはじめます。彼らはいまだにナズーリンの特待生室を狙っており、ナズーリンにチェスで勝った(ということになっている)星の許可をとれば、あの部屋を自由に使ってもいいんだな、とナズーリンに詰め寄ります。
 挑発されたナズーリンは、ついつい「私に友などいるものか。トラマルのことなど、知ったことじゃない」と言い放ってしまう。下品に笑うヴァジュラの面々はその足で星をシメに行く。
 
 数を頼み、大勢で星一人を取り囲んでボコボコにしようとするヴァジュラ。彼らは星に向かって罵声を浴びせかけます。「ようお前、人と妖怪の平和だとか言ってるんだって? だったら大人しく殴られとけよ!」「命蓮教だったか? そんな胡散臭い教えにすがりつきやがって、田舎者がよ」
 それに対する寅丸星の返答!
 
「うるせえ! お前らは何かむかつくから殴る!」
 
 カッコイイ!!!!
 濡れる!!!
 抱いて!!!!!!!!!!!!
 
 筆者はこれほど爽やかで格好いい寅丸星をはじめて読みました。興奮のあまり、本をもってごろごろと転げまわり、例によってTwitterで実況しました。この評を書くために読み返しているいまも、嬉しくて嬉しくて肌の粟立ちが止まりません。これがマジック・ワードです(どーん)。
 
 ……ついつい、レビューを書きながら、鷲巣様に名前を呼ばれた鈴木のように喜んでしまい、冷静さを欠いてしまいました。
 『バッド・エデュケーション』は、このエピソードのあともまだまだ続きます。この評を書きはじめる前に、ぜひ紹介しようと思っていた超名言(こんどはナズです)が、もうひとつあるのですが……ここまででもう、ちょっと多すぎるほどのネタバレをしてしまっているような気がします。ここから後のことは、ぜひとも皆さんに自分で読んでたしかめてもらいたい。
 とにかく、この作品は一部の好事家(我々のような)だけの楽しみにとどめておくにはもったいない。まだ買えると思いますので、上記URLより販売サイトへ飛んで、ぜひご購入いただきたいと思います。
 『ふたりぼっち』は小説本としてのみ読んでも実にイカス本で、マムドルチァさんや、太田ユリの保冷剤さんも書いてるよ。
 それでは、今回のレビューはこのへんで。ありがとうございました。