『世界の終わりが二月であること』

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▼作者:こうず
▼サークル:カリニヒタ
▼発表形態:同人誌 コミックマーケット85 おやすみなさい合同『およるにならせ おはしらせ』収録
▼登場キャラクター:フランドール こいし

 

 フランドール・スカーレットの『王国』は、例え巨人に踏みつけられようとも、きっとびくともしないのだろう。

 

フランドールは、常闇の『王様』

 

 魅力的な冒頭のパワーは何物にもかえがたい。

 これだけで、もうこれだけで充分だ。

 

 多少なりともフランドールのパーソナリティを知っているならば、この冒頭だけで彼女の王国とはなんであるか、彼女がなぜ王様なのか理解できるだろうし、王国から抜け出た先で彼女を待つものが希望にあふれたものでは無い事を濃厚に予感するだろう。この僅か二文で、自らをを閉じ込める地下室に対するフランドールの心情の全てが明らかになり、物語の行く末まで予感させる。力強くて説明不要なこの短文が、読了するまで読者の頭の隅に常に居座り続けるはずだ。20kb10000字余りの容量で物語を伝えるに当たって、なんと効果的な冒頭だろう。
 希望の無い結末への予感は、瓶詰めの妖精や理想に閉じ篭る者達によって繰り返し強められ、判りきっているが直視したくない現実に向かって物語は否応無く続く。王国は内側から見るからこそ美しく、ひとたび外側から見てしまえばただ惨めだ。

 

 そうしてフランドールは「無垢なるもの」を喪失する。

 

 これが「無垢なるもの」の喪失の物語だとするならば、それを奪うのは古明地こいしだ。と、同時に東方原作を知る読者はこいしが「かつてそれを失った者」だということに気づく。一見狂言回しに見えるこいしは実際はある種の奇妙な対立者であり既知者である。フランドールという悪魔から無垢を奪い、現実を見せ付ける彼女を他になんと表現しよう。他者から「無垢なるもの」を奪い取り、これはただの灰に過ぎないと突きつけ、そうすることで自らを確立するこいしは、しかし失う者の心情を真に理解する者でもある。

 

 灰にまみれたフランに希望はもはや無い、けれども喪失に付き物の絶望も悲しみもまた無い。こいしとフランは、いまや共に「失った者」同士であり、そうなることでやっとフランはこいしへの畏れから開放され、友になれたのだとしたら(きっとそのはずだ。そのはずなのだ)その友情のくすんだ色合いこそが二人の体に降り積もる灰の色なのだろう。

 フランの王国は失われたが、それでも隣にいるこいしの体温を、友人の存在を感じ取れたから、疲れてはいても彼女は心安らかである。失い失わせ、そうすることでお互いの存在を確認した二人は、ついにくすんだ色に包まれて安息を得るのだ。

 

 これはきっと、そういう物語なのだ。

 

「フランが眠ったら、私もきっと行くからね」

 

 なのに、こいしはフランと共に眠りに就こうとはしない。フランドールを先に行かせ、後から行くと約束するのだ。ここに重大性を感じてしまうのは邪推かもしれない。しかし読者である私は素直にこいしを信じることが出来ない。過去に絶望というもの直面したに違いないこいしが、その意味でも「既知者」であるこいしが、新たな友と安息を得るとは。フランが目覚めた時、そこには誰も居ないのではないだろうか。最後までこいしは奪い続けるのではないだろうかと。