『暁星幻想』

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▼作者:人比良氏
▼サークル:四面楚歌
▼発表形態:同人誌/単行本 162ページ 2012年8月11日発行(コミックマーケット82)
▼登場キャラクター:博麗霊夢 霧雨魔理沙 他
▼ジャンル:学パロ ミステリ

 

 今回レビューするのは、「暁星幻想」。サークル四面楚歌の作品である。それなりに大御所のサークルであり、それなりに本も出しているので、それなりに緊張しながらレビューを書いている。
 
 作品について。はっきり言う。つまらない。装丁は美しいが、それだけである。騙されてしまった気分だ。こういった装丁の本がずらっと並べられていると、それだけで欲しくなってしまうものである。僕もイベントの気分で、まとめて購入してしまった。だが、これを読んだ後、残りの四、五冊は、読まずに、東方創想話で人比良氏を知っていて、好みだという友達に差し上げてしまった。他人に布教して、慈善事業をした気持ちである。その友達が面白いと感じてくれたら嬉しい限りである。
 
 面白い、つまらない、という感覚は、人によって違う。僕が、つまらない、と言ったのは、読んだ後に、何も残らなかったからである。繰り返し読むことで面白く感じるものもあるが、この小説は、一度読んだ限りでは何を言っているのかよく分からなかった。
 読み込み、理解を深めることで、どうつまらなかったか、言葉にしてゆく予定であるが、最初に読んだ感想が「つまらなかった」であることは変わらない。
 物語には読むべき時があり、その時々で感想は変わってくる。子供の頃好きだったものが、大きくなってつまらなく感じる。子供の頃意味が分からなかったものが、大きくなって面白く感じる。知識や経験によって、物語の価値は変わってくるからである。単に、読むべき時を間違えただけであり、もっと以前に、もしくは後に読めば、よかった、という感想になったかもしれない。
 僕がつまらないと言ったところで、他人にとってどうであるかは分からない。僕はただ、できるだけ客観的なものの書き方で、どうつまらなく感じたかを説明したい。
 僕は言うべきことをはっきりと言いたい。これまでのレビューでも必ず冒頭で言ってきたように、中途半端な褒め言葉や、曖昧な濁し方をするくらいなら、はっきりと言いたい。反論があるならば、このレビューを全文引用し、全て否定するくらいの気持ちでレビューに対するレビューを書いてほしい。僕は、作者や東方に対する好悪ではなく、文章に対する真剣な気持ちで書いている。特定の人に対するアンチでこういった文章を書いているのではないことは、理解してほしい。
 
 前提として、二点のことに注意して頂きたい。
 ミステリ作品のレビューになるため、犯人、謎、事件にあらましなどを含め、あらゆる事柄へのネタバレを多分に含む。この点には注意していただきたい。とは言っても、発表されたのは2012年8月のことで、既に2年の時が経っており(レビュー時:2014年5月)、殊更意識することでもないと思う。知っている方しか、このレビューを読むことはないだろう。知らない人は読まないようにして頂きたい。
 
 「暁星幻想」は、一冊で完結した物語として扱う。感想をネットで調べてみたところ、同サークルの別の作品との繋がりを指摘されていたが、このレビューでは扱わない。「暁星幻想」で完結しているものとして扱う。本文、奥付、特設サイトその他に、シリーズであるとの表記は見受けられない。シリーズである表記がないにも関わらず、『別の本を読んでいないと分からない』ものは、作者の自己満足でしかないと考えるからである。『別の本を読んでいるとくすりとできる』程度ならともかく、読者にとって価値のあるものではない。ここでは、「暁星幻想」の本文と、特設サイトの文章についてのみ扱う。
 
 
 
 1 作品の概要 
 
 「暁星幻想」は、2012年8月に、コミックマーケット82において発表された。特設サイトにて「東方学パロミステリィ」と紹介されている通り、学パロであり、ミステリ作品である。閉ざされた学園、飛び降り、消えた少女、学園の七不思議、謎の黒い物体、普段はいない学園長……など、ミステリ、学園パロ的要素を多く含む。
 学パロというジャンルについて、申し訳ないが寡聞であまり多く読んだことはない。東方の二次創作ということを、あまりに踏み外したものが多いように感じられるからである。「暁星幻想」については、学パロとして非情に質が良いように思われる。学園であるという事柄に終始せず、きちんと幻想郷との繋がりを描き、また、幻想郷でのキャラクター達の立場を、ほとんど踏襲して描いているため、学パロが学パロとして、必要な要素として描かれているように思う。寡聞にして他の学パロをあまり知らないため、『他の学パロを貶めている』のではないということは理解していただきたい。
 
 章構成になっているが、少し変則的な形である。P4に「学園の七不思議」が並べられており、P5はプロローグ的な、学園のおおまかな情景を描いているシーンがある。P6~P57までは一・二章、P58~P105までが三・四章、P106~P130までが五・六章。P131に奥付があり、P132~P161が七章である。P162にはCONTINUE? YES or NO という文章がある。
 章ごとに、サブタイトルと、一文が付いている。
 
 一・二章 無限の授業と階段 「じゃあ、待ってる」  すみれはあおい
 三・四章 永遠の廊下とプール 「教えてくれたのは、あんたよ」  夜光少女
 五・六章 完全な鏡と部屋 「捕まえた」  スターゲイザー
 七章  なし 

 

 この一文は、最初は意味は分からなかったが、調べると、どうやら同サークルの発行物のようである。(「スターゲイザー」については、ネットを軽く調べた限りでは分からなかった)この一冊だけで考察するには大して意味のない文章である。
 これだけ見ただけでも、変則的な構成であることが分かるだろう。「一章 無限の授業と階段」と七不思議のうち二つを内包するのではなく、「一・二章」である。これは、七章を強調するための手法であろう。七不思議のうち七番目は、「学園のどこにも、ない」であり、七不思議の七番目は「存在しない」という謎なのである。これを強調するための章構成と思われる。だが、意味合いとしてはそれだけであり、それならば、七章構成で、それぞれに七不思議を散りばめた方が良かったのではないだろうか?
 後述で詳しく述べるが、先に言ってしまうと、冒頭に掲載されている七不思議は、実は物語に殆ど関わりがない。率直に言ってしまうと、何故存在しているのか、理解に苦しむほどである。七不思議に固執して、章構成でまで強調するほどの事柄であろうか?七番目の、「存在しない」という謎は物語の根幹に関わることであるが、七不思議である必然性はない。
 
 物語の大枠としては、文化祭直前で賑わう学園で、少女が飛び降りたという噂が流れる。その真相を調べるため、学園で何かと頼られる博麗霊夢が謎を解くというのが大まかなストーリーである。言うまでもなくミステリであり、レイマリ要素もある。このミステリとレイマリについて、述べてゆきたい。
 
 
 
 2 ミステリについて 
 
 物語としての多くの失策を、このミステリの部分が占めているように思う。一つはミステリとしてのトリック、また、演出、見せ方、が大変稚拙なためである。
 ミステリは小説として大変息の長いジャンルであり、沢山のミステリが既にあり、現在も新しい独創的なトリックが生み出され続けている。その中で斬新なトリックを独創するのはあまりに難しい。
 更に言えば、この小説は東方の二次創作であり、学パロであり、ミステリである。様々な要素が含まれていることは、ミステリとして新しい境地を開くきっかけにもなる。実際、学パロにし、様々な力を持った存在を、全て人間と同レベルの存在にしてしまうことで、トリックを台無しにしてしまうような能力を全て封じ込めた。これは明らかに学パロの利点である。だが、同時に諸刃の剣となる。ミステリとして読むのか、学パロとして読むのか? 総合として東方として読むのか? ミステリとしては駄目でも、東方として成り立っているならば良いのか? 東方として全体のイメージを作るために、ミステリ部分が稚拙になった、というのなら、それは本末転倒な話である。
 
 ミステリの構成について、章ごとに述べてゆきたい。
 
 一・二章は、言わば「出題編、情報集め編」である。学園に流れている謎が示される。霊夢のルームメイト、射命丸文により、「飛び降りた生徒がいるという噂」「残された手紙」「学園に出没する人ならざる者に少女は突き落とされたという噂」が語られる。それらの情報を元に、霊夢は学園をうろつき、情報を集めて回る。中庭で風見幽香に「飛び降りた生徒はいる」「学長室に運ばれたらしい」「一年の子が騒いでいた」ことが語られ、一階の廊下でリグルとミスティアに「噴水の中から大きなお化けが出た」ことが語られ、二階で魂魄妖夢に「落ちてゆく人を見た」「学園長室に運ばれた」ことが、三階で藤原妹紅レミリアから「三階にレミリアと妹紅以外はいなかった」ことが語られる。屋上を調べ、屋上に繋がる階段は閉じられていることを確認する。
 
 これらの謎について、霊夢自身、「飛び降りた、あるいは突き落とされた少女。無人の三階。黒いお化け。突き落としたお化け。」「節操がない」「統合性のとれなさを感じる」と感じる。
 正直に言って、情報が多すぎであるし、一度に示しすぎである。魅力的なミステリは、一つの謎が現れ、新しいヒントで次の展開があり、新しい謎で前提が崩れ、ということを楽しむものであろう。個人的なことであるが、この時点で、これら一つ一つに、筋道を立てて考えようという気分は、既に失せていた。
 
 続けて、三・四章に移りたい。この章が最も、必要性が感じられず、意図が不明である。この章はさしずめ「七不思議編」だと定義づけられるだろう。霊夢の部屋で宴会になった際、部屋にいる射命丸文東風谷早苗鈴仙十六夜咲夜物部布都風見幽香伊吹萃香によって七不思議がそれぞれ語られる。「終わることのない授業」「尽きることのない階段」「どこまでも伸びる廊下」「底の抜けた深いプール」「光を呑み込む合わせ鏡」「誰も立ち入らない寮室」「存在しない」の七不思議。
 だが、これらの七不思議は、示されはしたものの、以降、二言三言語られるだけで、殆ど語られない。七番目「存在しない」は物語の根幹であるが、他は七不思議としての体裁を整えるためだけに用意されたかのようである。
 謎が示され、情報が集まり、七不思議という新たな謎が現れ、次はどういった展開になるだろうか。
 
 五・六章である。ここは「解決編」である。謎が謎として示されただけで、もう解決である。いったい、いつ謎を解いたのだろうか? この時点で最早、読者としては置いてきぼりを食らった気分である。その部分を引用しよう。
 一度戻るが、四・五章のP98。宴会で酔った霊夢は酔い覚ましに散歩をしながら考える。
 
 七不思議。お化け。妖怪。突き落とされた、自殺した少女。残された手紙。失われたもの。忘れられたもの。境界。向こう側。永遠と無限の完全の差異。夜と昼、その狭間の朝焼けと夕焼け。輝く星。つぎはぎだらけの異変。歪な日常。
 
 このうち、「残された手紙」以降のものは、これ以前に霊夢の思考の中で示されたものである。そして、五・六章に移り、謎をまとめた次の日の朝、霊夢は宣言するのである。P107「昨日の時点でだいたいのあらましを理解していたのだから」P108「犯人が誰かは、もうわかってるもの」
 正直に申し上げて、何が起こったのか、全く分からない。一応、謎解き自体は筋が通っている。魂魄妖夢の嘘を言葉の端から曝き、問い詰めて西行寺幽々子(生徒会長)の助力を得、不在の学長室に押し入り、全てのヒントを得る。
 飛び降りた少女は伊吹萃香である。(伊吹萃香は二階程度から飛び降りられることは言及されている)黒いお化けは大きな黒い猫であり、猫は伊吹萃香に追い立てられて二階から飛び降り、怪我をして学長室に運び込まれていた。(学長室に運び込まれた少女は、この黒い猫のようである)猫をお化けと間違えたミスティアが叫び声を上げた。萃香が飛び降りたのは二階からで、三階には誰も上っていない。妖夢が「上から落ちてきた」と嘘をついたのは、屋上への扉で幽々子といちゃついていたのを隠す為だった。
 これらの思考を、一度に済ませてしまうのは、読者としてはついてゆけない。先にも述べたが、一つ一つ謎を考え、一つ一つ解きほぐして行くのが良いミステリではないだろうか?
 
 学園の謎としてのミステリは、以上である。端的に言ってつまらない。
 ミステリの醍醐味は、真相が明かされた時に、ああ、そうだったのか、そう言えば、という感動だと思う。一応、謎とその解決として、必要な情報は揃っている。だがそれらを配置するばかりで、読者の心情に寄り添う感じはしなかった。謎が示されるのも唐突なら、それに対する思考もなく、解決も唐突で、答えが並べられるばかりである。これでは、とても、楽しむ余裕がない。
 また、謎の答えについて、どの時点で分かったのか、それとも、始めから分かっていたのか、はっきりと明かされない。原作における、また、二次創作における博麗霊夢には、勘が良い、という設定がある。だからといって、ミステリでまで『霊夢は勘が良いから謎は分かった』ではあまりにお粗末に過ぎるのである。こればかりはあまりにミステリでない、としか言いようがないであろう。
 例えば、三階には誰も来ていない、という証言をするレミリアと妹紅に対し、「手紙があるから」という理由で疑いもしないのである。これは読者からすれば理屈が通らない。霊夢にしか、あるいは霊夢と作者にしか話の筋が通じていないのである。
 
 
 
 3 レイマリとして  
 
 この作品はミステリでありながら、霊夢魔理沙の関係を扱ったレイマリでもある。レイマリ、いわゆる博麗霊夢霧雨魔理沙のカップリングについては、東方の二次創作では人気の高いカップリングでもある。
「暁星幻想」において、霧雨魔理沙は本文中には殆ど存在しない。霊夢や他のキャラクター達が学園生活を送る一方で、霧雨魔理沙のことは、誰も言及しないのである。霊夢は、時折、「金髪の誰か」を幻視する。
 
 この学園世界は、八雲紫の作った架空の世界、有り得たかもしれないもう一つの世界であり、現実の世界、幻想郷のある世界では、既に霧雨魔理沙は死んでいる。霧雨魔理沙が死んでしまっていたとしても、霧雨魔理沙のいた幻想郷の世界を霊夢は選び、学園の世界から、幻想郷世界に戻る。
 筋を説明すると、こういう風になる。ミステリの解決のあとの七章において、八雲紫によってこの世界に対するネタバレがされるのであるが、霊夢にこの世界のことを説明した紫は、この世界に残るか、霧雨魔理沙のいなくなった幻想郷に戻るかの選択を迫る。霊夢が学園世界を懐かしみ、幻想郷に戻り、霧雨魔理沙の死を目前にするシーンは、詩文的な表現で語られている。
 あまりに唐突で、正直に言って、ついていけない。ただでさえミステリ的に並べられた謎が、唐突に片付けられた後であり、八雲紫の語りは感動するべき部分なのかもしれないが、気分を盛り上げようとする試みに、完全に失敗している。霧雨魔理沙は幻想郷世界において、理由なく死んでいるし、それが老いによって避けられないものとして示されたのならともかく、何故か血を流して死んでいる。これをどう理解しろというのか?
 前述の通り、この他の同人小説と繋がりがあるのかもしれないし、そちらで補完すればよいのかもしれない。だが、この本にはシリーズであるとも、何とも説明されていないのだ。同人本を買うのなら下調べして当たり前、いきなりこれだけを読むなんて素人、ということだろうか? これはあまりに穿った見方だ。だが、イベントでいきなり、並べられたものを買うのだ。何も分からなくて当然ではないだろうか? 他の本を後で読めばいいだろう、というのかもしれないが、このがっかりした感じは消えない。別の本を読んで補完されたとして、それでこの不満足感が消えるだろうか? こうしてレビューすることにならなければ、再びページを捲ることもなかっただろう。
 僕はいま、東方Projectという作品の二次創作に触れる機会が多い。だから、東方の世界にいる限りは、この本のことを忘れないかもしれない。だが、東方の世界から離れれば、この本のことを思い出すことは、ないだろう。
 
 レイマリとして見ると、「学園世界があったが、そこには魔理沙はおらず、霊夢魔理沙のいる幻想郷を選ぶ」という話になる。問題は、霧雨魔理沙についての描写があまりに少ないことである。合間合間に、霧雨魔理沙の描写が時折挟まれる。霊夢霧雨魔理沙のいない世界においても、金髪の少女の幻視を見、金星、星、赤(これは物語終盤、魔理沙が流していた血の暗喩だろうか?)は示されるにしても、前述の通り、物語終盤における、霊夢魔理沙への感情は詩文的な語りが数ページあるのみで、いわば、感情が先走りしていて、霊夢魔理沙の間にあるものは何も感じられない。霊夢にとって魔理沙は大切な何かなのだろう、ということが分かる程度である。
 大切な魔理沙を、学園世界でも霊夢は忘れなかった、というだけの話であるのなら、意味のなかった謎同様、学園世界も、何の意味もなかったことになる。霊夢自身学園世界ではなく、幻想郷を選んでいるのだから、意味のないものだとしても不思議はないのかもしれない。だが、読者としては、じゃああの学園の謎解きや文化祭は何だったのだろう、というような感じである。そう言えば、舞台は文化祭の準備期間という設定であったが、具体的に何を準備しているのかだとか、文化祭に対することは何も述べられなかった。準備期間という設定も活かせていないと感じる。
 つまり、分量のバランスがおかしいのである。書くべき魔理沙との繋がりが無いに等しく、必要の薄い学園の部分があまりに多い。学園が意味のないものとして、終わるのなら、その先に、書くべき、必要だった魔理沙霊夢の関係が描かれるべきではないのか。魔理沙に対する、霊夢の、詩文的な語りで、全てを察しろと言うのは、あまりに乱暴な話である。
 
 
 
 まとめとして 
 
 ミステリとして稚拙、霧雨魔理沙について語られる部分が少ない、という指摘をしてきたが、学パロとミステリを繋いだ作品として他に類を見ないものであり、その点での価値は認めるべきであろう。ミステリには物語に明確な目的があり、読者を楽しませるには最も適したものの一つである。東方ミステリの作品が増えるきっかけの一つになれば良いと思う。