『うみのもり』

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▼作者名/サークル名:蛮天屋
▼発表形態:同人誌
▼判型:文庫版204P
▼登場キャラクター:宇佐見蓮子 マエリベリー・ハーン
▼ジャンル:恋愛小説

 

 うみのもり、ってさ。村興しや町興しのための第三セクターが運営する自然体験イベントの名前みたいだな。
 こう、山の恵みが海に流れ込んで魚介類を育てるんですよ、っていうのをテーマにして、森の中から川下りして最終的に浜辺でホタテとか焼いて食べるの。参加費は一人3500円くらい。
 
 さて、こちらは蓮メリ本である。
 正直、なにがどう「うみのもり」なのかも、理解できていない状態でレビューをするのはどうかなとテメエでも思うのですが、ネタバレ上等であればある程度物語の構造は分析できるかなと思いますし、そのなかでなんらかの解を得られたらいいなという期待も込めつつ、さあレビューだ。
 
 あらすじを簡単に。
 メリーにフラれた蓮子は自暴自棄に陥り間接的な自傷行為に走った後北欧の森に、結城頼子よろしく身を沈める。目を覚ますとそこは見知らぬ山荘で、ミステリアスな女性に保護されていたのだが……って感じ。
 
 当作「うみのもり」は痛みの物語である、と著者は告知サイトで繰り返し述べている。物語はひたすらに、蓮子がメリーと結ばれることのない己の身を嘆き逃避することで進行し、最後には自分の手で関係を破壊。別離による決着がつけられる。甘い百合妄想ではないと、これも告知サイトに書かれている通り。
 
 ところで、自分は八雲紫は人道の敵であると思っています。神隠しという言葉で誤魔化した、大量虐殺の主犯ではないのか、と思っています。そのような考え方を持つようになったのは、東方というコンテンツに触れて、三ヶ月ほど経ってからでしょうか。それまでは、ただひたすら、幻想郷という甘い夢を、二次創作というホルモン剤まみれの餌を、ブヒブヒと食い漁る萌豚でした。もっとも、いまでもそうなのですが。その萌豚がある日、「いや、そんな理想郷のはずはない、どこかに汚いはらわたを隠しているに違いない」と思い始めます。自分のことながら浅ましいと言ったらない。申し訳ない。いずれにせよ、実際、二次創作物を書く側にとって大きな動機になる感情の一つに、そのようなメインストリームへの反発心というか、野党根性というか、そういうのがあるという事実には、思い当たる人も多々いるのではないでしょうか。幻想郷を夢の国のようにとらえ、ゆるゆるふわふわで「ぷはーっ、今日もいいペンキ!」とか言っちゃうような物語も、それは必要ですし、あるいは、それこそが必要なものであると言えましょう。いやそれこそが主食なのだ。だけど同時に、世の中は残酷で、現実は生き難くて、クソッタレな自分しかいねえという前提に立ち返ったとき、果たしておいしいご飯だけでいいのだろうか、いいやよくない、栄養バランスが崩れる、そんな幻想郷は横っ面をひっぱたいてやる、と、スパイスたっぷりの小鉢料理も必要だ、と、思ったことのない人はいないのではないかな、と思います。痛みの物語も必要だ。
 以上のような視座から(さっきから似たような言葉ばっかり使ってるな……)北欧の森に迷い込んだ蓮子の環境を見直してみると、なるほどこれは一時の甘い夢を見させる装置にひっかかり、その裏側の薄汚さを知るまでの過程として読むことができます。左様、最初はただただ安らぎを得たくて幻想郷に思いを馳せ、やがて自ら「それだけではいけない」と暗部を暴き立てようとするような、我々の(俺だけか?)辿ってきた東方ヒストリーに似通った体験を、蓮子はしているのではないか。どうかな、四割くらいは当ってるといいのだけど。
 するとすなわち、この物語は、痛みと悲しみの物語なのか、というと、それだけではない。最終的に別離はするものの、それはそれ自体で、新しい自分自身を生きることに他ならないからです。蓮子が、生きていてよかった。彼女は、死んでいてもおかしくはなかった。作中、読んでいて何度も蓮子の生命を心配したものだけど、彼女は生き残った。これからも生きていく、そう、確信できるということは、そういう力になる物語なのではないかな。
 オススメです。